全体朝礼での嫌がらせ
私は、様々な嫌がらせをされてきたのですが、全体朝礼でも嫌がらせをされました。
今回は、そのことについて書いていきます。
もう何回も紹介しましたが、厚生労働省が2012年1月にパワーハラスメントの典型例を以下のように示しました。
- 暴行・傷害(身体的な攻撃)
- 脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言(精神的な攻撃)
- 隔離・仲間外し・無視(人間関係からの切り離し)
- 業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害(過大な要求)
- 業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと(過小な要求)
- 私的なことに過度に立ち入ること(個の侵害)
今回は、この中の2番目と3番目に記載されている
脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言(精神的な攻撃)
隔離・仲間外し・無視(人間関係からの切り離し)
にあたる行為をされたときのことを紹介します。
月に1回の全体朝礼
私が勤務していた工場では、月に1回、全社員が集まっての全体朝礼がありました。
私は入社してから全体朝礼には毎回出ていましたが、社長と揉めてパワハラのターゲットにされるようになってから、その全体朝礼が嫌で嫌で仕方なかったのです。
私がなかなか辞めないから、辞めさせるために考えたんでしょうけど、なかなか強烈でした。
社長が新たな嫌がらせの手段として考えたのが、この全体朝礼での嫌がらせでした。
全体朝礼で私の悪口が炸裂しました。
このことは私の心の中にズシンと来ましたから炸裂という表現をさせてもらいます。
全体朝礼で悪口を言う
社長は、私のことを警戒していたから、ずっと無視をしていて直接は何も言ってきませんでした。
しかし、全体朝礼の場で私の悪口を言うという嫌味な攻撃をしてきました。
社長は、全社員が集まっている全体朝礼の場で、
「会社の売上を横領した奴がいる」
「営業に行くと言ってサボっている奴がいる」
などと事実無根の悪口を言いました。
社長は、誰とは言わないし、私の名前も出さないのですが、スピーチの最後に
「そういった輩がいるようなので私が何とかします!悪は許さない!」
などと、私が正義だ!みたいな顔をして言っていました。
私の名前は出してきませんが、以前から、私が「横領をした」などの変な噂を流している訳ですから、ほとんどの社員が私のことだと思っています。
私が何か反論してきたときに「金太郎のことを言っていた訳ではない」と言うために名前を出さなかったのかもしれませんが、明らかに私の悪口です。
私は、その朝礼中に頭の中が真っ白になってひっくり返りそうになったのを今でも思い出します。
みんなは、恐ろしかったのか無言で聞いていました。
私はいつも黙っていました
私は、何も反論しませんでした。
反論したところで良いことは起きないと判断したからです。
社長は、毎月、全体朝礼の度に色んなことを言っていました。
「みんなが一生懸命に働いているのに仕事をしないで給料をもらっている奴がいる。」
「仕事をしないで給料をもらって悪いと思わないのか!」
「会社の帳簿が合わない。不正を働いている人間がいるのかもしれない。」
私は、この全体朝礼が嫌で嫌で仕方なかった。
社長としては、嫌になって辞めれば良いと思っていた訳ですから、効果があったんでしょうね。
全体朝礼がある日は、会社に行きたくなかったのですが、行かないと何を言われているかわかりません。
また、全てを録音して残しておこうと思っていたので休まずに出社しました。
私は、戦う決心をしました!
今まで、私がされた数々の嫌がらせを紹介してきましたが、こういった嫌がらせを受けているうちに私は戦う決心をしました!
こんな子供じみたことをする人間とまた以前のように付き合える訳がない。
このままいったら私がやられると思いました。
幸い、私は何かあったときのことを思って、今までの出来事もすべて日記に書いて記録を残していましたし、録音もしています。
戦うための証拠は、全ては揃っています。
また、これから先も嫌がらせは続くだろうから、嫌がらせをされるたびにどんどん記録を残していこうと考えました。
思った通り、その後も全体朝礼のたびに下らないことをしてきます。
そのうち、全体朝礼が終わってから、
「あの部屋で何をしているんですか?仕事してないように思うのですが…」
「暇なんだったら、私達の仕事を手伝って下さいよ!」
「仕事もしないで給料がもらえて良いですね」
と作業員たちから言われることもありました。
余計にしんどくなっていきました
私は、この全体朝礼を繰り返すうちに余計に気分が重くなり、動けなくなっていきました。
息苦しいなんともいえない体のダルい日が続きました。
休みたいくらいでしたが、逃げてはいけないと思って出勤していました。
しかし、どうしても体が動かずに休んだこともありました。
何もする気になれず、どんどん無気力になっていきました。
丁寧に対応することは、常に心掛けていました
全体朝礼の最中、大きな声で反論したいときもありましたが、我慢しました。
そんなことしたら、余計に悪者にされてしまいます。
また、反論して言い合いになったところでアウェーですから勝てる訳がありません。
例え、言い合って勝ったところで恨みを買うだけで、何の意味もありません。
だから、何か言われたとしても常に丁寧な対応を心掛けていました。
もちろん録音して記録は残していましたから、こういった行為も私の武器になるので良いのですが、当時は本当に死ぬほど辛かったです。
以前は、死を意識したこともありましたが、戦うことを決めてからは、絶対に負けれないと思って、死を意識することは無くなりました。
しかし、途中で「会社と戦っても勝てないんじゃないか…」と思ったことは何回かあります。
詳細に記録し、まとめました
戦うことを決めた私は、今まで以上に詳細に記録を残しました。
あと、パワハラされた行為をわかりやすくするためにまとめました。
日記や録音などのデータも膨大な量になります。
例えば、1年分の記録を見てもらおうと思っても全部を読むことは困難です。
それぞれの行為に対して、どのようなことをされたのがわかるように抜粋してまとめました。
まとめておけば、すぐに説明することが出来ますからね。
第三者が見てもすぐに理解することが出来るわかり易さを意識してまとめていました。
会社にわかってもらう必要はない
戦いになれば、別に会社がわかってくれなくても良い訳です。
大事なのは、ジャッジをする人に伝わるかとうかが一番重要な問題です。
会社がどれだけ非道いブラック企業なのかを理解してもらう。
私がどれだけの被害を受けたか理解してもらう。
それを意識していまいた。
きちんと記録を残して、今までされてきたことを全て伝えることが出来れば、絶対に勝てるという確信を持って行動していました。
何回もシュミレーションしました
隔離部屋にいるときも家に帰ってからも、ずっと作戦を考えていました。
どのようにしていけば、一番効果があるかを常に考え、シュミレーションしていました。
隔離部屋でそんなことを考えているんですから、会社からしたら、もう問題社員でしょうね。
孤独な戦いでした
会社内には、誰も応援してくれる人もいないし、孤独な戦いですから辛いもんでした。
最初は応援してくれる人もいましたが、私と関わるとパワハラの標的にされてしまう訳ですから、だんだんと応援してくれていた人たちも離れていきます。
家族も最初は理解を示してくれなかったので辛かったのを思い出します。
途中からは応援してくれるようになりましたが、それまでは辛い思い出しかありません。
死にたくなったこともあります。
しかし、途中から、誰も信じてくれなかったとしても
「自分自身は自分のことを信じよう」
と意識しました。
最後に笑顔になるのは絶対に自分だと信じることにしました。
そう思ってからは死ぬことを考えることはなくなりました。
精神的にしんどいのはずっとしんどかったですが…。
いかがでしたか?
今回まで、4回に分けて、私が受けてきたパワハラ、嫌がらせを紹介してきました。
いかがだったでしょうか?
ここに記載した以外にも私が日々されてきた下らない嫌がらせはたくさんあるのですが、小さい出来事の全てを書けませんし、ここまでにします。
もし、あなたが退職勧奨、嫌がらせやパワハラを受けていたとしても何かしらの突破口はあるかと思います。
諦めた時点で終わりになってしまいますので、諦めないで頑張っていきましょう!
私は、当時、こういった嫌がらせをずっと耐えていたのですが、途中から、精神的に追い詰められ、どうしようもなくなり、弁護士事務所に相談に行きました。
その後、展開が変わっていきました。
弁護士事務所に相談に行った当時のことを記事にしましたのでご覧ください。
弁護士事務所に相談にいくときにした3つのこと
弁護士事務所に行くときには準備していった方が良いです。
精神的に辛くなり、展開を変えたいと思った場合、専門家に相談することをお勧めします。
私は、弁護士さんに相談し、依頼することによって、ずいぶんと気が楽になりました。
また、社長も私に弁護士さんが付いたことを知ると対応が変わってきました。
今まで以上に警戒して、会社の顧問弁護士にも相談したのだと思います。
私が弁護士さんに依頼したのを知ったからだと思いますが、会社は私に調停を申し込んできました。
調停のこともまた書いていきますので読んで頂けたら幸いです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
【次回】
私は、今まで書いてきたような「パワハラ、嫌がらせ」をされてきましたが、ずっと耐えていました。
途中で退職勧奨をされましたが、断って耐えていました。
嫌がらせが始まってから、約2年が経過したころ、会社から調停を申し込まれます。
辞めさせたかったけど、辞めないから調停という手に出たんだと思います。
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